『丁場紀行』ブラジル丁場紀行 後編 No.14-1
早くも『丁場紀行』配信の時期になりました。14回目の発信となります。
前回の『丁場紀行№13 ブラジル丁場紀行 2024年5月出張編』はいかがでしたでしょうか?
前回は『プチ中国丁場紀行』を加えたので、長編になってしまいました。毎回、皆さんが飽きることなく読んで頂くようにまとめたいと思っているのですが、物書きの素人の私にとって文書構成、写真配置は非常に難しいです。
まず最初に初めてのブラジル訪問時の弾丸ドタバタ出張を紹介します。現在では有り得ない事ばかりの出張でした。
その弾丸ドタバタ出張は、今から33年前の1991年。地球の裏側に行くのに、現地2泊+機中3泊の超弾丸スケジュールでした。
・目的 : 次で紹介するカパオボニート原石 約400m3(約1,200トン)検品。
・日程 :
1日目 成田~ロスアンゼルス(給油)~サンパウロ 【機中泊】
2日目 朝にサンパウロ到着後、迎えの車でカパオボニート丁場に移動し丁場で半分の200M3検品 【サンパウロ泊】
3日目 朝からストックヤードに移動し、残りの200M3検品、ホテルに戻り出荷打合せ 【サンパウロ泊】
4日目 最終打合せ後にサンパウロ市内視察し、空港に移動し、サンパウロ~ロスアンゼルスに搭乗 【機中泊】
5日目 ロスアンゼルスで給油し、名古屋へ 【機中泊】
6日目 夕方に名古屋空港に到着
・利用航空会社 :
当時の日本の海外労働者はブラジル人が多く、JALとヴァリグ・ブラジル航空(VARIG、2007年にゴル航空に買収された)の共同運航で日本からロスアンゼルス経由でサンパウロへの直行便がありました。
日本からサンパウロに直行は不可能なので、当時はロスアンゼルスで給油しサンパウロへ飛行です。(給油中は飛行機からから降りて、待合室に移動して3時間ほど待機でした。)だから同じ飛行機での直行便扱いなのです。
所要時間は成田~ロスアンゼルスは約12時間だったような? ロスアンゼルス~サンパウロは約12時間だったような?いずれにしても長~~~~い搭乗時間でした。
・飛行機クラス :
サプライヤーから『どうしても早く検品に来てほしい。』との要望で、飛行機チケットと通訳はブラジルで準備してくれました。そのチケットは何とビジネスクラス。とは言っても座席は現在のプレミアムエコノミー程度で食事は肉、肉、肉の肉三昧だったと記憶しています。
・面白経験① :
4日目に日系2世の通訳さんが有名な場所に案内すると連れていかれたのがサンパウロFCのホームスタジアムのエスタジオ・ド・モルンビーです。スタジアムの偉いさんと通訳さんが知り合いで、その人の案内で、クラブハウスを通って、ピッチの中心まで案内してくれました。無人観客でしたがピッチの中心で寝っ転がり最高の景色でした。
・面白経験② :
少しブラジル通貨のレアルが余ったので空港内の免税店で購入しようとしたら、レアルはイミグレ-ションを済ませた空港内部では使用出来ないことが分かり、係員に『レアルを使いたいから、どうにかしてくれ。』と文句を言ったら『俺について来い。』と言うので付いて行きました。イミグレーションまで戻り、その人が責任者に説明し外に出してくれて、『責任者に話済みだから、その辺で買い物して、再度イミグレーションを通りなさい。』との事でした。空港内を物色しても買いたいお土産がないので、コーヒー店を発見し、手持ちレアル全てコーヒー豆を購入したら、ビックリする位の小箱入りコーヒー豆を渡されました。
・貴重経験① :
帰国時のチェックイン時に『あなたはラッキー』とチケットを渡されました。チケットを見もせず搭乗し、2階席に誘導されました。なんとそこは20席程のファーストクラスだったのです。とは言っても座席は現在のビジネスクラス程度で、個室でもなく、フラットにもならない座席でした。CAさんに聞くと、エコノミークラスもビジネスクラスも超満員どころかオーバーブッキングで順繰りにアップグレードになり、単独客だった私がファーストクラスに選ばれたそうです。20席程の2階席でお客は私を含め6人程度。食事の際に出てくる高級食材(キャビア等)は、最終的に余りは私に持って来ました。いくら高級食材でも食事4回で食事の度に沢山持って来られてはウンザリでした。
・貴重体験② :
2階席の前方がコックピットだったのでドアが開いた時に見ていたら、機長さんと目が合って『オイデ、オイデ』何かなと思って行ってみたら、日系2世の片言の日本語を話せる機長さんで、『内部を見ますか?』とお誘いでした。お言葉に甘えて補助席に座り雑談し、おまけにコーヒーまでご馳走になりました。現在では考えられないような体験をしました。
◆往年のブラジル御影石を紹介します。まずは丁場位置です。
◆往年のブラジル御影石を当社が取り扱い始めた順番で紹介していきます。
❶ブラックティジュカ : 丁場は生産調整で一時休止中
1960年代初期に初入荷した細目の黒御影です。
丁場は、リオ・デ・ジャネイロ州 リオ・デ・ジャネイロから南西に約70kmに位置します。
当社が扱い始めた黒御影では、ブラックスウェード(スウェーデン)、モカンガ(アンゴラ)に次いで3番目です。
流通している黒御影の種類が少ない時代には数多くの物件に採用されましたが、インパラブラック(南アフリカ)やジンバブエブラックが市場に出回るようになり採用が少なくなりました。
*施工事例 : 西京銀行本店旧建物壁、名鉄バスセンター etc ❷カパオボニート : 丁場は現在も採掘中
1970年初期に初入荷した中目の赤御影です。
丁場は、サンパウロ州 カパオボニート村(サンパウロから西に約150km)に位置し、あちこちの巨大な玉石から採掘していました。
当社が扱い始めた赤御影では、インペリアルレッド(スウェーデン)、マガディレッド(インド)、センチネルレッド(インド)、マホガニーレッド(アメリカ)、トラナスルビン(スウェーデン)に次いで6番目です。長年に渡り数多くのビルに採用されました。
世界に紹介されて以降、2000年にかけて、世界的に需要が高まり、多くのカパオボニート丁場が誕生し、大量に生採掘されました。
当時はそれぞれの丁場主がそれぞれの名称を付けていましたが、基本名は村の名称である『カパオボニート+○○』が多かったです。カパオボニートNJ、カパオボニートZE、ニューレッド・・・・沢山の名称があり、それぞれの色調は若干異なっていました。
*施工事例 : 東京ガーデンパレス、 日本赤十字本社、 新橋二丁目ビル、 プランタン銀座、 椿山荘、 DAIICHI名駅ビル、 クリスタ長堀橋、 恵比寿アリアケジャパン、 オールスタイル五反田 etc ❸コロラドガウチョ : 丁場は閉鎖しました
1970年初期にカパオボニートから少し遅れてに入荷した赤御影です。
丁場は、リオグランデ・ド・スール州 ポルトアグライ近郊(ポルトアグレイから約50~70km)に位置し、玉石から採掘していました。カパオボニートよりも若干オレンジ色味が強い赤御影で、日本ではカパオボニートほどは流通しませんでした。
ちなみにガウチョ(GAUCHO)とは『南米のカウボーイ』or『リオグランデ・ド・スール州で生まれた人』の意味を持ちます。
よってリオグランデ・ド・スール州産には、○○ガウチョ、ガウチョ○○という石種名が多いのです。
*施工事例 : 恵比寿ガーデンプレイス、 御堂筋南ビル、 デンソー本社、 西鉄福岡駅ABビル etc