『丁場紀行』アンゴラ丁場紀行 No.12-2
■冒頭に書きましたが、某工事に採用された『アンゴラブラック』の丁場を確認するために、中国協力工場の案内で、設計者2名、ゼネコン1名、当社3名(担当の営業1名、調達部2名)で2023年5月23日~28日に丁場を訪問しました。現地2泊、機中3泊の旅。
私自身もアンゴラへの渡航経験がなく、ビザ取得が難しく、治安が悪いとの情報だったのでお客さん同行での訪問は躊躇しましたが、案内して頂く中国協力工場と念入りに打合せして、特に治安が悪いルアンダの国際線から国内線への移動(場所が離れている)には原石を調達する丁場オーナーから現地のポルトガル人の車を手配させ、ルアンダ空港出迎え➡昼食➡国内線への見送りを段取りしました。帰国時も同様にルアンダ空港で出迎え➡国際線への見送りを手配しました。
驚いたのは、出発直前になり国内線ルアンダ⇔ルバンゴの便が休止になったり、時間変更になったりの繰り返しだった事です。帰国時にその洗礼を受けました。その話は後ほど。
*経路は中東経由もありますが、出発時間、帰国時間、乗継ぎ時間を検討し、ルフトハンンザ フランクフルト経由を選びました。
■5月23日(火):
桑名の自宅を出発し、桑名➡名古屋➡品川➡羽田に移動。羽田空港で一行と合流しました。
羽田空港ではチェックイン後に、視察ミッションの遂行と無事の帰国を祈念して乾杯しました。
乗継地のフランクフルトまで14時間20分のフライトです。私いつものように離陸を知らずに寝ていました。
そして、機内食で起こされ、食事し、映画を見ながらまたまた寝ていました。それの繰り返しで、14時間過ごし、無事にフランクフルトに到着。フランクフルトのターミナル1で、今回同行してくれる中国協力工場K社のSさんと合流し、軽食とビールでSさんとの合流とアンゴラに対して乾杯。その後にいよいよアンゴラ ルアンダへ出発。
■5月24日(水):
フランクフルトを22時過ぎに離陸、私は相変わらず殆ど寝ていて、食事の度にCAさんから起こされていました。
寝ては食べて、食べては寝てで、いつのまにやら定刻の早朝5日30分にルアンダに到着しました。
到着ゲートでは、当社の看板を持った空港職員が待っており、その人の先導で入国審査、荷物引取を済ませて、空港から出ると、国内線への案内してくれるポルトガル人2名が控えており、2台に分乗し、乗継7時間以上を過ごすために朝食に向かって、4時間程休憩し、国内線に向かってチェックイン。チェックインはスムーズでしたが、約2間遅れで、ようやく目的地のルバンゴに到着。羽田出発して合計約36時間の長旅でした。疲労困憊です。
◆羽田を出発して約37時間でルバンゴのホテルに到着しました。予約は中国協力工場経由で現地丁場オーナーに依頼していました。
丁場オーナーは、我々にリゾート客が利用するような優雅なホテル(コテージ)を手配してくれていました。
遠路はるばるの訪問した我々に滞在期間中だけでも忙しい日本を忘れてゆったり過ごしてもらいたいのと安全確保のためとの事。
しかし、フロントとレストランは入口近くにあるのですが、駐車場からフロントまでキャリーケースを持ってエッチラオッチラ。
おまけに、宿泊する各コテージは広い敷地に散らばっていて部屋に辿り着くのも一苦労でした。
◆荷物を置いて、いよいよ待ちに待った夕食に向かいます。近くまでホテルの車が迎えに来てくれました。辺りは薄暗くなり不気味な感じ。
まずはビールで乾杯。メニューはイタリア料理とポルトガル料理をミックスしたようでしたが、サラダ、カルパッチョ、肉を2種類を注文。
ビールの後は赤ワインで再乾杯。皆さんお疲れなので早めにコテージに戻りました。辺りは真っ暗です。私は迷子になりそうなので親切な高木君が一緒に戻ってくれましたが、結局2人で迷子になり、私のコテージ着くのに40分掛かりました。もうヘトヘト、ヘロヘロです。
ヘトヘトでも、シャワーし、メール処理、写真整理、明日の準備をしなければなりません。薄暗い部屋で外からは動物や鳥の鳴き声が不気味に聞こえます。天井から虫やヘビが落ちてきそうです。