『丁場紀行』ギリシャ丁場紀行 2023年5月出張編 No.10-4
❻ホワイトペンテリコン :
丁場はアテネ市内から約30km(車で約45~1時間)のディオニソ村に位置します。
ホワイトペンテリコンは由緒ある銘石なので出来るだけ詳しく紹介します。
一番有名は施工例は、約2,500年前建造のアテネ近郊 アクロポリスにある皆さん御存知の『パルテノン神殿』。オリジナルの丁場(パルテノン神殿他の使用されたペンテリ山の丁場)は、1970年頃に閉山となり、現在はディオニソス社が1850年から裏山(ディオニソ村のディオニソ山)の丁場から産出の石が流通しています。
ちなみに正式名称は『ペンテリコンマーブル』で、その意味は『ペンテリ山の大理石』です。
2018年頃までは、アテネ近郊の遺跡(圧倒的にホワイトペンテリコンが使用されています)の遺跡補修用にため原石販売不可と聞いていましたが、原石販売可能となったという情報を得たので2018年5月に丁場訪問し、当社は原石購入を再開しています。
出来る限り平行に流れるtypeの良材を選別して購入し在庫しています。ギリシャ文化を代表する石種は、このホワイトペンテリコンです。『丁場紀行 No.5 トルコ前編』のストリアートオリンピコを紹介する際に案内しましたが、再度参考にビサンチン文化はストリアートオリンピコ、ルネッサンス文化はビアンコカラーラ、ローマ文化はトラヴェルチーノロマーノです。
我が国には1960年初めに初入荷し、歴史的建造物に採用されました。数ある白大理石の中でも結晶粒子が細かく緻密な石質なので艶が良く、さらに色柄も高級感がある石種です。簡単に言えばアヤックスやカワラホワイト等とは歴史も格も違う石種なのです。
◆ホワイトペンテリコン丁場視察が終了したので、パルテノン神殿もご紹介します。
この場でパルテノン神殿については、超簡単に紹介しますが、詳しく知りたい方はご自身で調べて下さい。
古代ギリシャの代表的ポリスであるアテネの中心部アクロポリスの丘に建設された神殿。ポリスの最強国であったアテネが国の威信をかけて建設したもので、守護神アテナ(12神の中の知恵の女神)がパルテノス(処女の意味)の神であったことからパルテノンといわれました。
パルテノンはペルシア戦争以前にも存在したが戦争で破壊されたため、ペリクレス(当時の政権掌握者)が再建を命じ、彫刻家フェイディアスをを総監督とし、建築家イクティノスとカリクラテスが担当して、紀元前447年に施工開始し、紀元前432年にはほぼ完成したが装飾の製作には、少なくとも紀元前431年まで継続されていました。
パルテノン神殿を含むアテネのアクロポリスの丘は1987年に世界遺産にされました。パルテノン神殿の他に、6人の婦人像が残るエレクティオン神殿などを含む範囲が指定されています。
★博物館の展示品は撮影禁止です。見張りの職員やボランティアが神出鬼没で現れます。写真を写したら凄い剣幕で怒られますよ。
しかし、エレクティオン神殿婦人像と神殿建造過程のジオラマは撮影OKです。
パルテノン神殿、パルテノン博物館の見学を終了し、ギリシャ出張最後の晩餐です。疲れたし、お腹も空いていないので、アテネ中心地まで歩いて行こうとなり、途中のシンクグマ広場にある国会議事堂で衛兵交替式を見て、中心地のお洒落なレストラン街で軽く食べました。
■5月13日(土):
4時起床、メール処理し、帰国パッキングし、5時過ぎにホテルを出発し、アテネ空港へ向かいました。
アテネからミュンヘンまで2時間40分のフライト、乗継2時間半、ミュンヘンから羽田まで12時間10分のフライトでした。本当に飛行機に乗っているだけで疲れます。まあ相変わらず殆ど寝ていましたが・・・・
5年ぶりのギリシャ訪問は無事に終了しました。
今回は冒頭にも書きましたが、ギリシャ丁場紀行を書く前提の出張だったので従来よりも本当に疲れたし、当初は5月の出張内容と今回未訪問の丁場も案内する予定でしたが、書き始めると枚数は多くなり過ぎるので、急遽2回に分けてギリシャ丁場紀行を案内する事に変更しました。
ということで、次回は『ギリシャ丁場紀行 後編』をご案内致します。
長時間読んで頂きありがとうございました。