『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1

今回で『丁場紀行』7回目の発信となりました。
前回は『トルコ丁場紀行 後編』を案内しましたが、楽しく読んで頂けたでしょうか? 今回は予告していたように『中国丁場視察出張で一番過酷だった丁場視察』をご案内致します。

先日、この丁場紀行を読んでいただいている某設計事務所の女性設計者から『丁場紀行の三木さんですよね。丁場紀行のファンなんです。』とおじいちゃんが舞い上がってしまいそうな声を頂きました。このようなコメントを頂いてしまうと、連載を止めようにも止めれないし、手を抜くことも出来なく、ますますハードルが高くなった気持ちです。
『そんな話よりも、早く本題に入れ!』と怒られそうなので、本題に進みたいと思います。

◆私の初めての中国出張は、1988年4月で今から34年も前の事なので、ぼや~~~~としか覚えていないのですが・・・思い出しながらを書いてみます。

・スケジュール : 『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1・ビザ : 
当時は、短期訪問でも60日間有効のシングルビザ取得が必要でした。(下記写真参照)

・外貨兌換券 : 
当時、外国人は現地通貨『元』の使用は出来ず、銀行で両替すると『外貨兌換券(ガイカダカンケン)』への交換でした。しかも使用可能な店は限定(制限)があった。
この兌換券(紙幣のみ)は、中国政府が外貨を管理するために1979年に導入され、1980年4月1日から流通し、1995年1月1日に廃止されました。 (下記写真参照。私が持っている兌換券です。)

・広州交易会 : 
当時、石材の輸出は政府系の中国五金鉱産進出公司(通称『五金』)しか出来ませんでした。
また外国人は中国の内地に入る制限もあったので、購入交渉及び契約は広東省広州市で毎年春秋2回の『中国輸出商品交易会』での契約が必要でした。この交易会が『広州交易会』と呼ばれていました。
*1980年初め頃の丁場は、各村の所有で個人に年間採掘料をもらう形で採掘していました。その後、1985年以後、徐々に個人の所有(所有と言っても採掘権を取得)に変わっていきました。またその後、1991年頃から民間の貿易業者なら原石輸出出来るようになり、2000年頃から民間業者が製品を輸出出来るようになりました。 
『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1 ・石種名 : 
現在でこそ、中国産でありながら英語名やイタリア名の石種名が流通していますが、当時の石種は、各省の五金の管理下であったため、全ての石種が番号制でした。各省の番号順は登録順なので、若い番号が、その省での古い丁場と言えます。
*各省の位置関係は、ページの地図参照願います。

・石番号例 : 『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1・当時の丁場 : 
当時の中国丁場には採掘重機、運送重機は殆どなく、露出している岩石をドリルで割りながら採掘している感じで採掘した原石を道路に運ぶのにも大型トラクターか牛車を使用していました。よって大きい原石を取れても丁場から道路への移動、道路輸送、船積が出来ないため大きい原石は作らなかった。と言うのが正しい説明と思えます。
また、丁場近くでは端材原石利用のピンコロや敷石などの環境石材製品手加工場(小屋やテント)が多くありました。
『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1 ・中国材の輸入 : 
記憶では、我国の中国材輸入順は、①環境石材製品(ピンコロ他)、②墓用の巻石(延石)用原石、③墓石用原石、④建築石材用原石、⑤墓石本体及び巻石製品、⑥建築石材用スラブ、⑦建築用製品 と思います。

・初中国の食事 : 
34年前の出張で何を食べたのかあまり覚えていませんが、鮮明に覚えているのは、とある田舎町の食堂(決してレストランとは呼べない)で、入口の両側に檻に入った小動物(ウサギ、サル、カメ、ヘビ、コウモリ、ネコ、ハクビシン、センザンコウ等)がぐったりした状態で並んでいて、そこを通り抜けて中に入り席に座ると、案内の中国人が『食べたい動物を選んで下さい。』と勧めるのですが、どれも食べる気になれず、『野菜炒め、卵スープ、チャーハン』を頼んだら、案内人が『お客さんにそんな粗末な物を食べさせたらボスに怒られるので私に任せて欲しい。』と真剣な顔で訴えるので、その迫力に圧倒されて『では、お任せします。しかし食べる前に食材は言わないでね。』とお願いしました。
しばらく待っていたら、最初に出てきたのは、小さいコップに入った『ヘビの血』、その次は『ヘビのぶつ切の炒めもの』、その次は『正体の分からない肉料理』と最初にリクエストした菜っ葉の炒めものとチャーハン。出てきた肉料理は強い香料の匂いで本来の匂いを消しているが、ほんのりと獣臭い。『なんやろか?』と思って食べようとしたら、『それは、センザンコウです。三木さんが疲れているように感じたから、精を付けてもらおうと注文しました。美味しいよ~~~~。さあ三木さんから取って食べて下さい。』てなことで半強制的に食べさせられましたが、見た目には熱々の土鍋に入った肉料理ですが、強烈な味付けだったことは今でも忘れられません。
この経験が、今後の出張で『何でも食べられる。』礎になったんだと思います。 
『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1
◆34年前の話は、これで終了として、その後 中国出張は原石検査、スラブ検査、製品検査、丁場視察で数知れず行きました。丁場視察(調査)だけでも、15~17回は行っています。その丁場視察の中で過酷だった丁場視察を紹介します。
それは、2015年5月25~31日 7日間 山東省→河北省→内モンゴル→湖北省→四川省を駆けずり回った出張でした。
『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1『丁場紀行』中国丁場紀行:過酷編 No.7-1・定期的な中国丁場視察 : 
アモイストーンフェアーの展示石種で興味のあった新石種や中国業者から紹介された新石種は、基本的にお客さんに提案する前もしくは社内登録する時に、定期的に年2~3回のペースで丁場を視察し、自身の目で確認するようにしていましたが、残念ながらコロナ発生後は行けておりません。

・食事の写真 : 
出張での楽しみ(時には罰ゲーム風)は食事しかないので、誰に見てもらうわけではないですが、一時期だけ毎食の料理の写真を写していました。今回の出張ではその料理写真があったので、毎日の料理を紹介したいと思います。

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