『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4

◆6月17日(月) : 
今朝も早朝に出発し、チャイを飲んでいざ出陣、その後朝食は道中で食べました。ローカル食らしいですが、カレースープに硬い揚げパン風が入っているようなものでした。味は?ですが何とも表現しにくい食べ物でした。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4サマンサブルー : 
採掘開始は20年以上前からであるが、薄いライトグレーブルーで中途半端な色合いのためかあまり日本では広まらなかった石種。『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4ラヴェンダーブルー : 
従来の丁場はオリッサ州で1社だけが採掘していたが、この丁場は閉鎖となっている。現在(2015年から)は、オリッサ州との境のアンドラプラシュッド州側で3社が採掘。G社丁場の石が一番安定しています。前日からの大雨で丁場はグチャグチャでした。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4

チタニウムパール : 
採掘開始が2013年で日本に紹介されたのは2017年後半の比較的新しい石種です。今回で3回目の訪問だが、表面のボルダーを取りながら、横と奥に広げている感じでした。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4フリージアブルー : 
この石種も採掘開始が2013年で日本に紹介されたのは2017年後半の比較的新しい石種です。流れがある石で、丁場の正面は少し斜め流れ、側面は45度斜め流れ、天場は平行に近い流れ、丁場での原石取りは、丁場側面の45度流れが仕上り面になるように採掘している。どの面を仕上面として原石取りしているのかを確認するのも重要な丁場確認です。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4レモーションブルー : 
この石種も採掘開始が2013年で日本に紹介されたのは2017年後半の比較的新しい石種です。バハマブルーの薄手として紹介される場合があるが、バハマブルーとは丁場は異なります。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4バハマブルー : 
丁場がSRIKAKULAM市近郊なのでシカクランブルー(正式はスリカクラムブルー)の別名がある。このエリアでは比較的古く(2000年)から採掘している石種です。約5kmに亘って、約40社が採掘しているが、大きく分けて道路から見て、左半分がダーク系(約20社)、右半分がライト系、(約20社)がアッチコッチで採掘しています。建築用だけでなく、濃い手はヨーロッパ向けの洋墓やモニュメントの需要があります。需要が多いからダークは原石代自体が高いのです。今回は時間の都合で大手のD社丁場だけを訪問しました。 
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4 *ホテルには21時頃到着。食事は『インド最後の晩餐』ということで、シャワー後にモケシュさんの部屋で夕食会でした。インド出張はハードで危険も伴いますが、彼ら(モケシュさん、部下のバブさん、部下のデバさん)と一緒に丁場を回るのは、毎回 新しい発見、勉強もあり、楽しい出張でもあります。それに対し彼らに感謝を忘れないようにしています。

◆6月21日(金): 
5時起床し、海辺を散歩。今日は丁場視察最終日です。ハードで長~~~~~い出張でした。
チダホワイト : 
初訪問は2014年10月で、VISHAKHAPATNAM(VIZAG)空港に降りたら、空港の屋根の大部分がなく、周辺の家も倒れていました。数十年ぶりのタイフーンが上陸した後でした。よって通常は車で行ける丁場も、その時は徒歩で約1時間半かけて向かいました。その夜のホテルも停電が頻繁に起こり、一人でエレベーターに乗った時に停電になり、約20分間閉じ込められましたのですが『その内動くやろ。』と寝転んで動くのを待っていました。当時は1社だけで採掘していましたが、現在はその1社が採掘権を手放したので2社が採掘しています。前日の雨で普通の車では上らないため、ジムニー風のオンボロ車にギュウギュウ6人が乗り込み、ヒヤヒヤしながらガタガタ道、ドロドロ道を登って行きました。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-4
今回の丁場訪問はようやく終了しました。自分でスケジュールを組んでおきながら超ハード過ぎました。疲労困憊です。ホテルに戻り、シャワーして、荷物をパッキングして、VIZAG空港に向かい、VIZAGからチェンナイに飛んで、チェンナイ→シンガポール、シンガポール→羽田への帰路。
今回も凄く勉強になりました。そしてインドの皆さんに大変お世話になりました。インドの友人たちに感謝致します。
その思い入れのあるインドですが、7月25日時点でコロナ感染者 約3,140万人、コロナでの死亡者 約42万人です。前編に書きましたが、インドには身分(戸籍)を持たない人々が1億人とも2億人とも正確に分からない程暮らしています。この人々は感染しても死亡しても集計されていないでしょう。とすれば、たぶん死亡者は100万人以上いると思います。また、ワクチン接種など全インド人が全員受けれるはずがありません。こんな状況で次にインド変異株発祥のインドに行けるのはいつになるのか?? 
いずれにしても、亡くなった人々の中には今まで知り合った人々、お世話になった人々もおられると思います。心からのご冥福を祈ります。
 
今回は長くなりましたがこの辺で終了します。 次回は『トルコ 丁場紀行』をお届けする予定です。
ありがとうございました。

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