『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-1

今回で『丁場紀行』4回目の発信です。前回の『インド 丁場紀行 前編(1989年)』は楽しく読んで頂けたでしょうか?
予告していたように今回は、『インド 丁場紀行 後編(2019年)』をご案内致します。

 

私事ながら6月に還暦を迎えました。『山あり谷あり』の60年でしたが、丁場視察も『山あり谷あり』です。転落する事もなく、滑り落ちる事もなく、事故死する事もなく、生き長らえております。この命を大切にし、しばらくは社内外に対し『石の伝道師』を続ける所存でおります。


本題に入る前に私の『最初の石材検品』と『最初の外国人とのコミニュケーション』を紹介します。

皆さんは『ろう石(ろうせき、蝋石)』って御存知でしょうか? ろう石は葉ろう石(パイロフィライト)を含むロウ感のある鉱物です。(興味ある方はネットで調べて下さい。)一般的には、それを小さく切断した物を鉄工所や造船所なので鉄板などに記号や指示を記入するために使用していましたが、私が小学生(今から約50年前)時代は、地面や塀などに落書きや石蹴りなどの遊びのために図形を描いたりしていました。そのろう石が近所の駄菓子屋で5~10円/本で売っており、それを買う時に、子供ながらキズ有無や色目(当時は白が良く、グレーの色目はダメとしていた)を選別して買っていたのです。このろう石の選別が私の『最初の石材検品』です。
『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-1インド丁場紀行前編に書きましたが、語学がからっきしで、「なんちゃってイングリッシュ」と「なんちゃってイタリアーノ」と小さい頃に培った「外国人とのコミニュケーション」で毎回の出張をこなしています。
私は生まれも育ちも大阪市港区です。親父が勤務していた会社は、小型船で大阪港沖に停泊している外国貨物船へ生活物資運搬や船員を本土に送迎する業務をしており、今では考えられませんが5~7才頃に親父の仕事に同行し、その外国船にも連れていかれ、親父が仕事中は船員室で待たされ、外国人の船長さんや船員さんに昼ご飯やお菓子をご馳走になったり、身振り手振りで過ごしていました。子供ながらも『言葉が通じなくても何とかなる。』を身を持って経験し習得したと思います。
また小学校低学年時代の悪ガキ軍団で流行ったのは、上陸した外国船員に『コイン交換して~~。』とか『ガムちょうだ~~い。』とか『チョコレートちょうだ~~い』とか言って、外国品をゲットするとんでもない遊びです。まるで終戦直後ですね。
このように小さい頃の外国人に慣れ親しんでいた経験が、仕事に役立っているのは不思議なもんです。
何処に行っても現地に馴染み、誰とでも打ち解けられるのは一種の特技かもしれません。

 

幸いにしてこっちは購入する側です。石の事、丁場の事となればお手の物です。訪問する丁場でその石を理解しようとする姿勢を全面に押し出して質問すれば、相手も気持ちよく教えてくれます。年齢を重ねれば重ねるほど『石を良く理解している日本の石屋のおじさん』として迎え入れてくれているようになったと感じています。ジジイが原石の上を飛び回っているからでしょうか?

最たる例はインドです。10年程前にインドの丁場に行った時に採掘労働者が私を見て、作業を止めて手を振り、手を合わせて、皆が優しく迎え入れてくれるので、案内者(インド人)に『何故、皆さん優しくしてくれるか?』と尋ねたら、『三木さん、貴方はガンジーの雰囲気があるからです。』と説明されました。そう言われると、当社の作業服の色は地味な宗教色だし、頭は丸坊主でアゴには白くなったヒゲの自身を見て少し納得しました。でも拝まれるほどは似てないと思いますが・・・

『丁場紀行』インド丁場紀行:後編 No.4-1前置きはこれ位にして本題に入ります。

 

丁場紀行No.3で案内した『インド 丁場紀行 前編』では、1989年3月の視察先を書きましたが、その時代のインド材は、サファイヤブラウンニューインペリアルレッドニューマホガニー、アドニーブラウン、ニューブラウンという現在ではインド材の一時代を築いた石種でした。その後 30年経過し、インドでは丁場運営会社も増え、石種も増え、丁場も凄く増えています。その背景にはインドからはバラエティーに富んだ色、流行の流れ柄が産出され、世界的な需要が増えた事が大きく影響しています。 
2019年6月14~22日の9日間で超強行日程で丁場視察した時の出張を紹介します。インド人もビックリの超ハード日程でした。

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