『丁場紀行』海外輸入の始まり No.1-1
弊社創立は1901年。来年2021年で創立120年となります。
私は弊社で丁場(採掘場)調査や原石などを調達する調達部の三木と申します。
120周年を記念して作成した新しい名刺に『石の上にまだ120年』と記載しています。
既に50才を大きく過ぎましたが、丁場訪問歴35年、若い者に負けず、まだまだ体が動く限り、老体に鞭打って丁場に行くぞ~~、という心境です。
その私に『丁場紀行』たるものを年に3回(新石種紹介と同じタイミング)連載せよ、と指示があったので恥ずかしながら、私なりのものをご覧に入れることになりました。
気に入って頂けるものが連載出来るのか心配ですが、お客様に石材に興味を持って頂きたい、また弊社社員にも伝達したいと思い、連載を開始する次第です。
記念すべき第一回目として『弊社の海外輸入の始まり』に少し触れたいと思います。
住友の建築部に勤務し、諸施設の設計を一手に引き受けていた建築家の長谷部鋭吉から、大阪に計画中の住友本社ビルに使う大量の大理石の注文を請けて、矢橋亮吉(二代目、創業者次男)が「大理石の本場はイタリア」とだけの知識で、1922年(大正11年)にイタリアに渡ったのが海外の丁場視察と買付の嚆矢であった。
*住友と弊社との縁は、1903年(明治36年)の住友家須磨別邸の暖炉廻りと伝えられる。
24歳の亮吉は一人、船に乗り、南フランスのマルセイユに上陸し、身振り手振りで列車を使って、イタリアのミラノまでたどり着き、日本領事館に行って相談した。
当時のミラノに日本人は領事館関係者を除くと民間人は2人しかいなかった。
宝塚歌劇団から音楽の勉強に派遣されていた音楽関係の人と、派遣元の日本の会社が潰れてしまい帰国旅費が無くて日本に帰るに帰れない元駐在員の2人。
領事館の二等書記官の真崎氏(のちの諫早市議会初代議長)は親切な方で、その帰国不能の元駐在員の小林幸助をを紹介してくれた。
小林氏は絹糸の商売でイタリアに駐在しておりイタリア語はお手の物だったので、二人で地元の大理石事情をミラノの博物館に行ったり、人に会ったりして調べ、初めに訪問したのが北イタリア ヴェネト州最大の石材会社 ヴィセンチーニ社(現在はマルグラフ社に改名)だった。
その時に購入したのがネンブロロザート、キャンポペルラ、ロッソアジャーゴなどだった。
その後 イタリア各地の丁場(採掘場)を視察し、更にフランス、イギリス等も視察して多くの材料を買付て2年後に帰国し、前後して買付けた大理石の原石が続々と弊社のヤードに到着した。
当時のイタリアの石材会社にしてみれば、東洋の小国から右も左も分からない男どもが大理石を買いに来たのだからいいカモとばかりに2級品、3級品を押し付けることも出来たはずだった。しかし彼らはそれをしなかった。銘柄も品質も我々の望む材料を供給してくれたのだ。それはそれらを使って出来上がった建物が証明しているし、今だに残っているその当時に購入した原石の品質もそれを物語っている。そういう材料を使った出来栄えに満足頂いたお客様から引続き注文を頂くようになり、イタリアの石材会社との付合いは深まって行くことになった。
この素晴らしい出会いは弊社ばかりでなく、日本の建築界にとっても幸せなことだったのではないかと、100年前のイタリアの石屋の人達(マルミスタ)の公正さと職人気質には今もって敬意を払うと同時に感謝してやまない。
*現マルグラフ社の社員に当時の話をしたことがあるが、誰一人として当社との関係を知る者はいない。